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学校法人東海大学建学75周年
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松前重義博士の精神と活動を継承するため、また東海大学建学の精髄として、さまざまな取り組みを展開しています。
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東海大学の教育と研究成果を、多分野にわたる講座で還元しています。
今までの展示会
東海大学学園史資料センター建学祭展示会
代々木原頭青春譜 ~写真でたどる昭和三十年代の代々木校舎~
 
日時: 2006.11.1(水)~11.3(金)
10:00~17:00
場所: 東海大学代々木校舎4号館2階
情報システム学科第10研究室
*このページでは、展示しているパネル写真の
一部を紹介します。

Ⅰ.新たなる旅立ち─清水から代々木へ─
東海大学は、昭和30年(1955)1月に、静岡県清水市(現静岡市清水区)から東京都渋谷区代々木富ヶ谷町(現渋谷区富ヶ谷)へと移転しました。清水市は東海大学の前身である航空科学専門学校が開校した建学の地です。昭和17年(1942)に認可され、戦後は東海専門学校、東海科学専門学校を経て、昭和21年(1946)5月に旧制東海大学となりました。旧制東海大学は、開学当初こそ比較的順調でしたが、戦後の経済混乱や学制の改革にともなう大学の急増などによって、たちまちにして経営難に追い込まれていきました。昭和25年(1950)に何とか新制大学に切り替えたものの、学生数の激減に募集の停止など、経営は悪化の一途をたどっていきました。

こうした現状を打開する改革の一手として進められたのが、東京への移転計画だったのです。いくつかの候補地の中から最終的に、代々木富ヶ谷町の名教学園と合併して同地へ移転することとなりました。私立大学への助成制度もなく、経済復興もまだ道半ばであった当時、大学を移転するということ自体、まさに乾坤一擲の大英断でした。
     
工事中の1号館
昭和30年(1955)竣工
  2号館
昭和33年(1958)竣工

II.挑戦の日々─FM放送と学校工場─
松前重義学長(当時)は、早くから民間放送局の必要性を説いていましたが、同時に熱意のある青少年に教育の機会を与える手段として、通信教育放送の実現にも心を砕いていました。これが超短波(FM)多重放送方式(マルチキャスト)の実用化へと結実していくことになります。これは1つのFM電波に複数の放送を流すことを可能にしようとしたもので、東海大学が独自に開発を進めた先進的な方式でした。昭和32年(1957)の超短波放送実験局の開局認可申請を皮切りに、紆余曲折を重ねながら、FM東海(現FM東京)の開局へとつながる実用化に向けた実験と研究が進められたのでした。

そのいっぽうで経済的理由によって進学できない学生を支援する制度として、昭和32年に日本ではじめて勤労奨学生制度が導入され、代々木校舎内に勤労学生のための工場─学校工場がつくられました。ここではのちにバイオレットやゼルコバといったFM受信機が生産されるようになります。このほかにも海洋ファックスの実用化実験など、さまざまな挑戦が試みられています。その情熱と実績が大学の再建を担っていったのでした。
 
電界強度の測定
昭和33年(1958)頃
  学校工場 FM受信機製造

III.学び 遊び 鍛える

代々木移転にあたっては、すべてが再スタートでした。それを支えたのはもちろん当時の学生たちです。移転当初、名教学園の木造校舎を使った授業では、満足な実験用具もなく、それこそ苦難の連続でした。それでも新たな校舎ができるにしたがって次第に授業の環境も整っていきました。学生たちの行事や活動もさかんになっていきます。

移転の年、昭和30年(1955)には早々に建学祭が再開され、これが新たに第1回目の開催となって現在にいたっています。昭和32年(1957)には武蔵野市営グラウンドを借りて第1回目の学園運動会も開かれました。第8回の建学祭で実施された清水から代々木への苗木リレーや代々木校舎の造園活動などは、大学の環境を自らの手で造り上げていこうという試みでもありました。昭和34年(1959)創部の陸上部、同36年(1961)創部の硬式野球部に、FM放送を担った放送研究部など、部活動も充実してきました。また学生たちの生活環境を整えるために、望星寮・北斗寮・銀漢寮などの学生寮が大学の周辺に設けられました。こうして大学が新たな歩みをはじめた頃、時代はちょうど、高度成長という日本社会の大転換期を迎えようとしていました。
   
駒林栄太郎教授による航空工学の教授
 
建学祭名物仮装行列
 
清水から苗木リレー到着--第8回建学祭
昭和37年(1962)
硬式野球部首都大学秋季リーグ初優勝
昭和39年(1964)

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